太陽が照りつけるアスファルト。日一日と上昇する気温。
つい先日までの、梅雨の憂鬱な天気がまるで嘘のように感じられる。
雨の日は手や足元に気を取られ、慎重に歩いていてもすぐにぐっしょり濡れてしまった事を思うと、
颯爽と走り抜けられる今日のような天気は、まるで何かいい事が訪れる前兆の様な錯覚さえ抱いてしまう。
特に朝、登校時刻には少し早い時間帯ともなると、肌を刺す日差しは日中のそれと比べるとずっと優しく、
木洩れ日かさらし込んでくる暖かな光線に思わず目を細めて見上げたくなる程だ。
少女は太陽が振り下ろす光のシャワーから逃げるように木陰に入ると、お気に入りの帽子を脱ぎ、
長い髪を纏めていたポニーテールを風に任せて遊ばせた。
風に手を取られダンスを始めたようにたなびく髪は、一本一本束から独立し、
木洩れ日かさらし込む光に反射し、新たな光を発していた。
少女は背負っていたランドセルを傍らに置き、木陰のベンチに腰掛けた。
登校にはまだ十分早い時間であり、人の少ない教室に一番乗りする事は
昼間熱せられた空気を保温、もしくは過熱していた空間に最初に足を踏み入れる事になり、
それは折角の爽やかな気分を台無しにしそうで、生徒たちがあらかた登校するであろう時間まで、
ここでのんびり光ると風に任せて寛ごうかと思い立ったからだ。
と言うより、梅雨が終わって日差しを独り占めしようと早くに登校したものの、
真っ直ぐ学校に向かってしまい、気分よく開け放った教室の淀んだ空気に、
まるで素敵な夢を見ていたのに突然現実に引き戻されたように、
幻滅した経験を持つ彼女は、その教訓を生かして、ならば
少しでも涼しい場所でのんびりとこの一時を楽しもうとする事に決めていたのだ。
少女は車道に背を向け、眼下に広がる砂浜に視線を向けた。
夏が本格的に始まり、また夏休みが近づくにつれ賑わいを見せる海岸だが、
今人影はおろか、観光客を対象としたアイスキャンデーを売るおじさんもいない。
去年は学校帰りにそうした露天商からアイスキャンデーやジュースを買って
涼をとりながら、砂浜に沿って下校したものだ。
しかし、何か物音がしたような気がして、少女は視線をそちらに向けた。
すると何かの撮影だろうか、カメラやレフ版
―とテレビ局に勤める父を持つ先輩が言っていた気がする―
とか言うものなど、見慣れない機材を運び出す人の群れを見つけた。
少女は、涼しい木陰にいるといってもやはり夏の日差し、徐々に増してくる気温に体が耐える為に流れる汗をハンカチで拭ってから、
側においてあったランドセルを掴むと、撮影班が良く見える辺りのベンチまで移動した。
その木陰は、先程のそれと比べると、幾分幹の広がりが小さく、差してくる日差しの量も多いのだが、
少女は気にする素振りも見せず、ランドセルを下ろした。
撮影班は、まるで真夏の暑い盛りに冬の間の食糧を準備する蟻の様に、設営を進める。
少女がいる木陰とは違い、日差しを遮るものの無い砂浜は、太陽光と、砂で熱せられた熱とでまるで蒸し風呂状態である事を、
この地に住んでそれなりに長い彼女は知っていたので、少し哀れに見ててきた。
その証拠に、スタッフは一人また一人と弱音を上げている。
しかし、何とか
―テレビ局は近くにあるものの、実際の撮影風景を見た事がない少女は、
むろん準備段階など見たことなど無く、それが早いのか遅いのかは全く分からなかったが―
準備を終えたのであろうスタッフの一人が近くの駐車場に、手ぶらで走っていった。
程なくして戻ってきたスタッフに連れられて、一人の綺麗な女性が脇に控えていた。
いや、控えているのはスタッフの方だろう。構図としてはスタッフの後をついていくという形だが、
オーラが明らかに違う。
先を導くスタッフの影がくすんで見えるくらい、その女性は、まるで夏の太陽の様に光り輝いていた。
少女はその光景にすっかり見入ってしまい、汗を拭う事も忘れていた。
その女性は、熱さをものともせず、軽やかな動きを見せた。
太陽光と砂浜の照り返しに加え、照明やレフ版―だと思う―の反射により、
先程のスタッフ以上に熱を集中的に浴びているはずなのに。
何かのドラマの撮影なのだろうか、女性はしきりに何か科白を言っていたが、
少女の位置からは何を言っているか判別はつかない。
しかし、その声が凛としたもので、音を上げていたスタッフの声と比べるべくも無く、
澄んだ風のように少女に訴えかけていた。
暫くの間座る事も忘れ、視線は女性に注がれていたが、
撮影が終わったのだろう、女性は先程のスタッフに連れられ、来た道を戻っていった。
そしてまた、設営と逆の行程で機材を撤去させたスタッフもまた、駐車場の方へ消えていった。
しかし少女はまだその場に立ち、先程の光景を、誰も居なくなった砂浜を舞台に反芻していた。
後ろが騒がしくなり、振り返ると生徒がまばらに登校を始めていた。
見知った顔を見つけ、少女は駆け寄っていった。
「おはようございます、ミミさん」
少年は少女を見つけると、
昨夜の暑さの為寝付けなかったのであろう、まだ眠たさが残る顔で
少女に朝の挨拶掛けた。
「おはよう、光子郎君」
少女―名前をミミという―は、光子郎と呼ばれた少年とは対照的に、澄んだ明るい笑顔を向けた。
少しでもあの女性のような笑顔ができればいいと思いながら。